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Music Trip

第五部:音楽の新しい流れの源流〜1970年代の革新と1980年代の転換期
第12章:1963年生まれの青春期(1978〜83年頃)に起きた音楽の大変化

1. テクノポップと“日本発の音楽輸出”の始まり

● YMO(Yellow Magic Orchestra1978年)の登場により、電子楽器を駆使したテクノポップが一気に市民権を得る。
● 欧米のニューウェイヴと共鳴し、日本発の音楽が海外でも評価され始めた最初の事例。
● この世代(1963年生まれ前後)は、「洋楽を受け入れる側」から「日本の音楽を発信する側」への転換期を担った。

■ 主なアーティスト:YMO、プラスチックス、P-MODEL、戸川純
■ 海外の対応軸:クラフトワーク、トーキング・ヘッズ、初期ヒップホップ

2. 「集団体験」から「個人の音楽体験」へ

● テレビ音楽番組(ザ・ベストテンなど)の全盛期。みんなが同じ曲を共有していた時代。
● 1979年のウォークマン登場により、音楽は「個人が没入する体験」へと進化。
● 音楽の聴き方が劇的に変わる“聴取文化の地殻変動”をこの世代は体験した。

3. ニューミュージックと「自分の言葉」の出現

● 歌謡曲やフォークからの脱却。若者が自身の心情を綴る「私語り」的音楽へ。
● J-POPの源流とも言える時代。
● これは1975年生まれ世代が後にMr.Childrenや椎名林檎らを通じて感じた「自己投影の音楽」の起点でもある。

■ 主なアーティスト:荒井由実(松任谷由実)、中島みゆき、さだまさし、松山千春、サザンオールスターズ、オフコース、チューリップ

4. 関西ブルース/ソウル系の台頭と「黒い音」

● 桑名正博、上田正樹、柳ジョージらが、日本語でグルーヴを奏でる音楽を確立。
● 洋楽的なR&Bやブルースを“自分たちの身体感覚”で再解釈した先駆者たち。
● 後の宇多田ヒカルやMISIA、中田ヤスタカ的エレクトロにも通じる「黒いグルーヴ感」の起点。

5. 深夜放送とFM文化の確立

● FM局の台頭(FM東京・FM大阪など)、および深夜ラジオブーム。
● 若者がパーソナリティを介して音楽を発見し、情報を共有する文化の始まり。
● ラジオは「音楽の教室」でもあり、「個の嗜好」を形成する装置でもあった。

■ 主なパーソナリティ:吉田照美、伊武雅刀、小林克也

日本の音楽の変遷

生まれ年 文化的位置づけ 音楽的志向 メディア支配
〜1960年 体制に回収されがち 若い時はロック→中年で演歌・歌謡曲へ回帰 ラジオ/テレビ/新聞
1955年前後 反体制の最初の音楽世代 ソウル、R&B、日本語ロック ライブ重視・雑誌/FM
1963年 選択可能な分岐点 フォーク、洋楽、ニューミュージック、ブラックミュージック FM/MTV/テレビ混在
1975年 テレビに引き戻されつつも多様性拡大 J-POP/クラブミュージック/HIPHOP テレビ→ネット過渡期

第13章:山口百恵の引退(1980年)=テレビ的歌謡曲の終焉

● 山口百恵は、テレビを軸にした「全員参加型の音楽時代の象徴」。
● 引退をもって、以下の構造が揺らぎ始める:
・ 分業による歌謡曲(職業作詞家・作曲家・編曲家+歌手)・巨大メディアによる「国民的ヒット」強制

歌謡曲の「終わり」とJ-POPの「はじまり」

時期 中心文化 内容 世代との関係
〜1980年頃 歌謡曲(全世代共有) 山口百恵、ピンクレディー、演歌も含む 1963年生まれ=青春真っただ中
1980年代前半 ニューミュージック/シティポップ 荒井由実(ユーミン)、サザン、オフコース、竹内まりや 1975年生まれ=小中時代に吸収
1985年〜 「アイドルの再定義」by 秋元康 おニャン子、バラドル、歌よりトーク重視 歌謡曲のバラエティ化=共感より消費
1990年代〜 J-POP本格化、ブラック/クラブ系流入 小室哲哉、ミスチル、ドリカム、嶋野百恵など 1975年生まれが青春=選択肢の多様化へ

第14章:1950年前後生まれ(1948〜1955年)の音楽体験

 この世代は、「J-POP前史」の実験者・開拓者でもあり、1975年生まれの感性に強く影響を与えた“兄貴分”のような存在。

1. グループ・サウンズとビートルズの衝撃(1960年代後半)

● ザ・タイガースなどのGSブームとビートルズ来日(1966)が同時進行。
● 初めて「洋楽的サウンド」を日本語でやろうとした世代。

2. ソウル・R&B・ブルースの日本的再解釈(1970年代前半〜中盤)

● 上田正樹(1974)、桑名正博(1978)、柳ジョージらによって、“日本語でグルーヴする音楽”が本格化。
● 洋楽への憧れを超えて、「日本語に宿るソウル」への模索と表現。

3. ライブ・フェスカルチャーの出現(1970年代後半〜1980年代初頭)

● 野音や万博公園などでの野外ライブの文化が形成される。
● スタジオ録音より「ライブこそ本物」という価値観。
● → これは後のサマソニ/フジロック文化の前身。

終章:「新しい音楽の流れ」とは何だったのか

● 洋楽的感性 × 日本語の身体性 = “J-POP前夜”の音楽

● この流れを受けた1963年生まれ世代は:
・YMOで電子音楽への目覚め・中島みゆきで歌詞に心を映し・ 桑名正博や柳ジョージで「日本語のブルース」を知る
・ 深夜放送で音楽の“探究心”を育てた

■ 1963年生まれが体験した音楽の源流は、「洋楽的自由」と「日本語表現の可能性」の交差点にあった。
 この原体験は、90年代以降のJ-POPの成熟、クラブ文化、あるいはYouTube世代の音楽体験にも根を下ろしている。

時代の分岐:ざっくりとした傾向

タイプ 内容 代表アーティスト 傾向
歌謡曲継承派 親しみやすさ、テレビ中心、哀愁 松田聖子、中森明菜、安全地帯、チェッカーズ 昭和の情緒を大切にしがち
ニューミュージック
〜J-POP進化派
個人的表現、作詞作曲志向 ユーミン、サザン、オフコース
→ミスチル、ドリカム
情感+ポップの洗練
クラブ/R&B/ブラック派 ダンス、グルーヴ感、個のリズム m-flo、bird、嶋野百恵、ZEEBRA カルチャーとしての音楽
アイドル消費派 可愛さ、物語性、推し文化 おニャン子→モー娘→AKB 商品としての音楽

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