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Music Trip

第三部(2002〜2010年)三つの分岐と、1982年生まれの音楽的現実

第6章:R&BとHIPHOPが日常になる:私たちの音楽が“社会の音楽”になる瞬間

 2000年代初頭、宇多田ヒカルや倉木麻衣の登場によって、J-POPの音楽的基調は大きく変化した。R&BやHIPHOPといったストリート発のビートが、ついにメジャーへと届いたのだ。1982年生まれの多くは、高校時代に宇多田ヒカルの「Automatic」に出会い、大学時代にRIP SLYME、KICK THE CAN CREW、m-floなどの日本語ラップに熱狂した。つまり、“洋楽っぽい”音楽が、完全に日本語化された時代に青春を過ごした世代である。

 1975年生まれが感じていた「ブラックミュージックが好き」とか「クラブカルチャーはサブ」の感覚が、1982年生まれにはすでにない。
それは当たり前にそこにある音楽であり、日常だった。

 KICK THE CAN CREW、RIP SLYME、m-floといったHIPHOP勢が、第2FM(FM802、J-WAVE)やMTV・スペースシャワーTVなどの衛星チャンネルを舞台にシーンを広げていく。ASAYAN出身のCHEMISTRYや、EXILEとして再出発したJ Soul Brothersは、音とパフォーマンスを両立させた新たなポップス像を示した。「音楽はオシャレで等身大なもの」としてリスナーの生活に根づいていった。m-floの「come again」やCHEMISTRYの「PIECES OF A DREAM」は、青春と恋愛、旅と夜の車内BGMに寄り添ってくれる存在だった。

 それは、ただの流行ではなかった。音楽が、日常や旅と結びつき始めた感覚が街の中に染み出していくような日々だった。ケーブルテレビでMTVに触れたり、ネットラジオでHIPHOPやJAZZを聴く。誰もが別々のスタイルで、同じ音楽の時代を歩いていた。

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