
第一部(1990〜1998)〜1975年生まれが体感した、音楽と社会の交差点
第1章:ZOOとChoo Choo TRAIN ― ダンスが音楽と若者文化を変えた瞬間
1991年、ZOOの「Choo Choo TRAIN」は日本のポップカルチャーの流れを変えた。今となってはEXILEの代表曲としても知られるこのナンバーは、もともと90年代初頭の“ちょっとオシャレで都会的”な若者の心をつかんだ楽曲だった。
当時のテレビでは『夜のヒットスタジオ』や『ミュージックステーション』など音楽番組が週に何本もあり、ZOOのようなパフォーマンスグループがテレビに登場するたびに、彼らのダンスを真似る中高生が増えていった。「Choo Choo TRAIN」はその象徴であり、横一列に並んでうねるように踊る“トレインダンス”は、学校の文化祭やカラオケでの鉄板ネタにもなっていった。
この時代、日本の音楽シーンには大きな変化が起きていた。アイドルやバンドの全盛期から、“パフォーマンス型グループ”という新しいスタイルが生まれた時代でもある。ZOOはまさにその先駆け。メンバーには後にEXILEを創設するHIROが在籍しており、「ZOOからEXILEへ」の流れは、平成から令和の若者文化をつなぐ軸として今なお語られることがある。
音楽は、ファッションやダンス、テレビメディアと密接に結びついていた。ZOOの衣装は、渋谷系ファッションやストリートカルチャーを反映したもので、アメリカ西海岸やソウル/ヒップホップの影響を色濃く受けていた。今で言えば「K-POPアイドルが着ているような都会的でエッジの効いた服」だが、当時はまだ斬新だった。
さらに言えば、ZOOの登場は「地方都市に暮らす若者たちに“東京のかっこよさ”を可視化した最初のグループ」とも言える。関西に住む中高生が、テレビを通じてZOOのような世界を憧れとして見て、ラジオ(たとえばFM802)を聴きながらその楽曲をカセットに録音し、通学や旅のBGMにしていた時代。音楽は「手に入れる」ものではなく「録音して持ち歩く」ものだった。
今の10代や20代がTikTokやYouTubeで音楽とダンスを発信しているのと同じように、当時の若者もカセットやVHSで音楽を記録し、真似し、広めていた。ZOOの「Choo Choo TRAIN」はその文化の起点として、今も語り継がれる理由がある。
なお、のちにこの楽曲をカバーしたEXILEは、「ZOOを知らない世代」の若者にもこの曲のパワーを知らしめることになった。ダンスでつながる記憶、音楽でつながる世代。ZOOは1990年代の“青春の始まり”を彩ったグループであり、「音楽と身体が直結する」時代の象徴だった。
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